核心に届かない

 石垣島はもう海開きしたらしい。春通り越して夏なんだね。なのに茅野は、また雪降った。まあ、それでも大勢は春に向かってはいる。

 ところで、なぜ登るのかに「面白いから」というだけではやはり如何にも薄っぺらで心許無い。ということでもう少し格好つけて味付けしてみようか。

 まず逆から攻めて、何のためではないか。金のためではない、健康のためでもない。クライミングはまず金にはならないし、基本的に無酸素運動で指だの腰だのを必ず痛めるので健康に良いとはとても言えない。

 詰まるところカモメのジョナサンに近いのかな。カモメの飛翔能力は本来魚を取るためにあるのに、ジョナサンのやっている危険な行為は合目的的ではない。自分の身体能力の限界を追求する喜びがまずあり、その上に何らかの精神性がある。ジョナサンにはどんな精神性があったのか。クライマーはというとコンペや開拓に人生懸けたり、アルパインに命懸けたり、何も懸けずに週末クライミング楽しんだりで、そこはまあ人それぞれでかなり幅がある。技術的には共通する部分が多いがやや趣が異なる。

 しかしアルパインに行くコンペティターもいるし、一方でボルダリングやショートルートやらないアルパインクライマーはまずいない。なので先端のところは違うにしても一括りにクライマーの志向といえる何かがありそう。ではその一括りに出来るモノ、最大公約数は何か。

 頼まれもしないのに困難と危険を自分に課して他人の称賛やご褒美を期待せずに岩と対峙し、その過程と結果に一人ほくそ笑むという、内向きといえば内向きな性向かな。疑似的な岩である人工壁でも内面は同じはず。岩と敵対するのではなく勝負を挑むのでもない。強いて言えば勝負する相手は自分自身だよね。自身を酷使してそこを乗り越えて行くことに意義を見い出すんだろうけど、これが中毒性がある。

 てなことグダグダ並べてもやっぱりなんか違うなあ。そんな求道的なクライミングだけがクライミングじゃあない。やっぱり核心に届いてない。